ユッスーの日々

挫折と挑戦の二重らせんの日々を綴るユッスーのブログ。

以前書いた日記から。「アジアについて思うこと(原爆と太平洋戦争を考える)」

最近、どうにも寝れなくて、
オールウェイズ深夜のテンション、ユッスーこと浅田です。
今日は、3年半ほど前に前のブログに書いた記事を載せたいと思います。
なんていうか、その時って、今以上にいろんな知識は無かったんだけど、
でも、その時書いたこの記事は、今以上にストレートで、
切実なものがあると思ったので、紹介させて頂ければと思いました。


July6,2007

アジアについて思うこと

アジアの極東に位置する島、日本。
今日では圧倒的な技術力と、意外に知られていない投資力で、
アジア経済だけでなく、世界経済を牽引している。
そんな僕らの国には、苦すぎる過去がある。
アジアへの侵略。侵攻し略奪し虐殺し支配下に置いたのは
僅か70年ほど前の話。
大戦後は平和憲法の下、一定の平和と繁栄を築いた僕らの国。
世界で一番 紛争や貧困といった人間の安全保障に鈍感じゃないかって思う。
それでも「人間の安全保障委員会」の最大の支持国が僕らの国だったりする。

先ごろの元防衛大臣 九間氏の原爆発言には驚いた。
問題部分の発言の文脈を考慮しても“原爆はしょうがなかった”はありえない。
けれど、その発言に共感する大陸側アジアの人や、アメリカ人は多いんじゃないかな。
戦争の悲惨さを僕ら以上に知っているアジアの人たちにですら、
日本に原爆(民間人も無差別に地獄の苦しみと死を与える最終兵器)を落としたことに、
「あれだけのことをした国なんだから仕方ないだろう」と言わせてしまう。
僕らのおじいちゃんや曾おじいちゃんの世代は一体何をしてきたのか?!
どんな地獄をアジアで起こしてきたのか?想像がつかない。
アジアの人々の頭にはヒロシマ・ナガサキの前に
ナンキン・バターンなどの悲劇があるのだろう。

少し話を戻すと、原爆は絶対に許されない兵器である。
その生命や環境や未来に広範囲に与える悲劇的なダメージは、
人間が人間に向けるものでは断じてない。
核保有国は、いかなる理由を持ってしても(「テロリスト支援国」といったレッテルや「人道的介入」など)、核兵器を正当化することは出来ない。
核兵器ほど無用なものは何一つ無い。
以前「銃は人を傷つけるという最低の目的以外においては、最も無用なものである」という言葉を聞いたことがあるが、
原爆は正にその究極たるものである。

想像してみよう。
あのホロコーストという忌まわしい残虐な殺戮を行ったナチスドイツ。
あのドイツを許せないからといって原爆を落としていたら、
現在のドイツはあっただろうか?
ナチスだけが綺麗さっぱり退治されて、人々は喜んだだろうか?
ホロコーストに核兵器で応えるということは、
最大の暴力に、最強の暴力で挑むようなものである。
そして、その結果は完全なる破壊のみである。
現代社会を見渡すと、「核兵器に絶対に反対」という声を上げている人は多くない。
特に、世界の指導者はあまりにもこの点に関して盲目である。
自国の国益の計算には他国の民衆の生命など格安の扱いなのだろうか。
「無差別、長期、破壊的、大量虐殺」の為の兵器が綺麗に配備されている世界は変だ。
被爆国の一人としても、僕は声を上げていかなくてはいけない。
大きな声を上げられるような人にならなくては。

さあ、ここで問題が発生する。
世界の人々から見た戦時中の日本というのは、
当時のナチスドイツであり、
現在の北朝鮮なのである。
そんな国が戦争に勝つなんてことは、それこそあってはならなかった。
もし、大戦で日本が勝っていたらアジアの人々は今以上に幸せだったであろうか。
これは、ありえない。
右翼の人がこれを見たら激怒するかもしれないけれども、
当時の軍国主義、全体主義(の走り)は現在の民主主義よりも百万倍劣る。
ともあれ、そんな酷かった日本に落とした原爆の悲惨さは、
世界には届いていない。
特に、アジアには。

僕がアメリカに留学したとき、
沢山のアジア人の友達が出来た。
韓国人、中国人、台湾人、ビルマ人(ミャンマーの人)、モンゴル人etc
みんな良い奴だった。欧米人よりもずっと仲良くなるのが早かった。
僕は日本がアジアで何をしてきたかを勉強していたので、
建設的な友情を気づくことが出来、
“日本は大嫌いだがお前は大切な友達だ”そういう言葉をいつももらった。
だけど、原爆に関しては「あれは日本を敗北させるためには仕方なかった」と言われる。
それに、僕は断じて否定した。
あれは絶対悪だと。日本は遅かれ早かれ敗北していたと。
ただ、彼らにとって、日本が「遅かれ早かれ」敗北したことなんて大きなことではない。
一刻も早く、大打撃を日本国民に与えて欲しい。
そんな切実な願いがアジアの人々にはあったのだろう。
それが受け継がれているのだ。

僕も歴史を紐解くと戦争や欧米列強の植民地支配に身の毛がよだつ思いがする。
イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ。なんて汚い国なんだ。
特にイギリスは本当に汚い。どこが紳士の国なんだ。
アメリカも酷い。これは現在の姿を見ていても思う。
だけど、僕が訪れたアメリカ、イギリス、フランスは
人々もみなフレンドリーで文化も素晴らしい国だった。
今でも国際協力に非常に熱心なのがアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、(日本も)だったりする。
フェアトレードなんかも欧米では意識が高い。
「国益」中心に国際関係を見ていくことは、
最も現実に即しているのかもしれない。
しかし、それで見えないことは多く、
それで描けない未来はあまりにも多い。

もう一度話を戻すと、
例え欧米列強がいかに残虐なことを戦時中に犯していたとはいえ、
それを根拠に日本がアジアで犯した事実や果たすべき責任が軽くなることは断じてないということである。
隣町でもその隣でも強盗・強姦・殺人が行われていたからといって、
自分の犯した同じ罪が軽くなるはずが無い。
被害者の傷が癒されるはずも無い。
戦後の日本はODAや戦後保障を通してアジアにお金を送り続けてきた。
が、それと同時に、アジアへの侵略の歴史を風化させてきたことも否めないだろう。
原爆は風化させない。侵略は風化していってもしょうがない。
そんなダブルスタンダードはいらない。

信頼で結ばれた未来図をアジアに、世界に開いていくために、
過去は僕らの世代から背負っていこう。
過去に大きすぎる過ちを犯していることによって、
現在や未来に同じ過ちを犯す可能性は消していけるはずだ。
“いっそのこと「アジア」に生まれたかったな”と洩らしたこともある。
でも、今は、僕らのおじいちゃんやその前の世代がしてきたことを
背負う覚悟がある。
過去を認めることで、現在の「国益」が損なわれるなんて思いもしない。
未だにアジアを見下している人が多いのは残念だけど、
それも関係ない。
私は私。
まずは一人立つ。 

青雲はるかに

先ほどでかいゴキブリをトイレで発見し、
あら~なんて珍しい!!と、
道端で可愛い花を見つけたように感じ、
引き続き、確実に日本で育まれた感性の崩壊を感じるユッスーこと浅田です。

タイトルは宮城谷昌光の『青雲はるかに(上下巻)』からとって送る、
約10日ぶりのブログ更新であります。
「これから毎週木曜日に更新します」という記述を以前しましたが、
有言不実行が板についてきて困る今日この頃。
ブログってのは過去に言ったことや決意したことが残ってるから考えものですな。
つっても、僕みたいな一庶民の上げ足を取ろうなんて奇特な人はいないだろうと思いますが、
もし、将来(注:すでに三十歳)、それなりに出世したとしたら、
その頃には、現実とつじつまが合わなくなった過去の記述を、
自動的に修正してくれる機能の実装を待ちたいものです。

ちなみに、タイトルに沿って話すつもりは毛頭ない今日の更新。
それでも、このタイトルを選んだのは、
僕の親友(真友)が、年賀状に添えて、
わざわざ贈ってくれた本だからなのです。
彼曰く、「俺の去年(2010年)No1書籍を君に送るよ」とのこと。
なんと有難い存在か!!!!
早速読んでますが、まだ半分しか読んでないので、
ここでは特に触れません。
でもね、これはすごい本だ。。。。
しびれる。
希望の灯がめらめらと燃え上がる。
う~~~~む。宮城谷さん、すごいな。
俺も、こういう本が書けたらいいな。いつかね。

ともあれ、
近況を報告すると、
活動に関してはいよいよ大詰めです。
おそらく2月の半ばには活動を〆ます。
野菜栽培や学校植林、来年の果樹植林への下準備などに奔走中です。
そして最後の1ヶ月は修士論文の下準備に費やします。
もちろん、活動のフォローアップはしていきますが。

そんなこんなで、
残り少ないセネガル生活に胸がキュンキュンと締め付けられる日々です。
正に胸キュン。この単語を二一世紀に入ってから使った人は、
日本に何人いるのでしょうか?
ま、そんなことはどうでもよろし。

そういえば、
先日、僕の親しい仲間たちと小旅行に行ってきました。
行先はフンジュンというマングローブ生い茂る内海の広がるセネガル南部の町。
招かれざる客として、押しかけた僕らを、
彼の地で活動するYOUちゃんは快く迎え入れてくれ、
本当に楽しい幸せな思い出となりました。
でもね、俺ね、風邪引いちゃってて咳が止まらない訳ですよ。
今でもちょっと残ってるんだけど、正に旅行中がピークで、
そんな僕を気遣ってくれる皆様に感謝の旅でした。
特にYOUちゃんは、生姜TEAなるものを作ってくれ、
僕が神様なら、即刻、彼女の天国行きを確約したのに・・・!と思うくらい感動でした。
ここでは、そんな風邪をおしてのピローグ(船)ツアーについてちょっと語りたいのです。
三時間乗って、マングローブの森(水路)を満喫し、
6,000円(これを皆で割り勘)というセネガル価格のひととき。
もう、テンション上がりまくりました。
結構、いろいろあって上がりきらなかったテンション。
一時的とはいえ、完全に絶頂に達しました。
ちょっと、動画のせます(既に一時間が経過し、テンションは落ち着いています)。



そこで詠んだユッスー心の一首
「深緑を 映した水面を 切りさいて 進む舳(へさき)は 僕らの希望か」
まさに文字通りかけがえのない仲間(クルー)と同舟していると、
深い緑色(さほど透明度は高くない)の道なき水路が、
自分たちの未来に見えたんですよ。
ま、モーターとエンジンで進む船ではありましたが。

以上、徒然なるままに語ってきましたが、
帰りのバスの中では、
お気に入りのウインドブレーカーをまんまと忘れてきてしまい、
今頃、どこかのセネガル人に愛用されているんだろな~と、
苦笑いしつつ筆を置きます。

Youssouこと浅田でした。

PS.日本にいる友よ!
日本も風邪流行ってるらしいじゃん?
気を付けてくれよ~~!!

イイタイコト2011

親愛なる友達の皆さん(つまりは親友の皆さん)、
明けましておめでとうございます。
今年も、と言わずどうぞ一生ヨロシクお願い致しますm(-_-)m
セネガル暮らしにも慣れすぎるほど慣れ、
残すところあと僅か2か月の生活に名残惜しい今日この頃です。
そういや今年の干支って何だっけ?と考えたとき、
去年が丑だった気がするから、今年は寅かな?と思っていたら、
うさぎでした。寅をすっかり飛ばしてました。
まぁ一事が万事この通りなので、
日本の生活に適応出来るか不安であります。

で、一か月あまりお休みしていたこのブログですが、
タイトルの通り、イイタイコトを吐き出しちゃおうとドキドキしてます。
本当はね。
面と向かって誰かに言えないようなことを、
ブログとかTwitterで公開するのって、ものすごく嫌なんです。
そういう人は有名人にもすごい多いし、
そういうのを見ると卑怯だなってすら思う。

でもね。
言いたくても言えない本音が溜まり過ぎて、
もはやどこに伝えたらいいのか分かんなくなっちゃったので、
2011年、一発目でぶちまけます。
青臭い正論も吐き出します。
勢いだけの理想論も投げつけます。
自分を棚に上げてよく言うよ!ってことも言うかもしれません。

なので、
浅田のたわごとを聞き流してやろうっていう寛大な人以外は、
是非ともスルーして頂きたい。
間違ってもコメント欄で議論に持ち込まないで下さいませm(-_-)m

さて、前置きが長くなりましたが、
まず、貧困をはじめとする社会問題について、です。
いきなり堅い話で恐縮ですが、
西アフリカの農村にまがりなりにも2年弱過ごしてきた自分の思いの丈を綴りたいのです。
「豊かなアジア、貧しい日本」という言葉が昔ありましたが、
その言わんとすることは、ここセネガルにいると肌で痛感します。
まして、セネガル最高と褒めちぎってきた僕は、
「セネガルにはお金が無くても、Jam(平和)と笑顔と逞しさと助け合いがある!」
ってことに日本人が感嘆したり、
場合によっては羨ましいとさえ思うことは十二分に理解できるのです。
ただし、それはあくまで、
先進国に生まれ育った私たちが、
2年間という期間限定で、
十分な生活費と居住空間を与えられて暮らしていく中で、

半ば必然的に受ける衝撃でしかない。

そう思います。

というか、そう確信しました。最近。

確かに「Jamと笑顔と逞しさと助け合い」は発展して都市化していく中で薄れていってしまうかもしれない(多分)。
ただ、貧しさの中に含まれる子どもたちの教育の水準や衛生環境、死亡率などの、
様々な問題は、貧困からの脱却の中で解決することが多いことも忘れてはいけない(と思う)。

貧困=可哀相な人たちという単純な図式を、良い意味で壊されても、
貧困そのものを過小評価してはいけない(のではないでしょーか)。
過酷な労働に見合った賃金も生活も保障されない搾取を、
見逃してはいけない(ってことないすかね)。
満面の笑顔を浮かべながら、可能性を極度に限定されていることに気付くこともない子どもたち。
それを幸せかどうかを決めるのは僕らじゃない。
世界中の人が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が達成されることが、
僕なりの憲法解釈。

前文を読み返して欲しいのです。出来ればちょいと声に出して。
*注:私は「右」じゃありませんよ~~(^^;;;
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


全世界の国民はもちろん、
世界中の名もなき民衆を指している。
欠乏から免かれていない何十億の人々がいる。
その一人一人は真摯に生きていて、
絶望してる人はきっと一人もいない。
そんな勇敢で崇高で、それでいて明るくて前向きで優しい人々。
そういう人たちを貧困に閉じ込める、何世紀にも渡って作られた世界。
俺はそれに問題意識を持ち続けるから、
これからもコミットしていきます。

日本の社会問題にも問題意識を持ってコミットしていきます。
それは日本人だから当たり前のことだけれど、
日本よりも厳しい状況の国がたくさんあるという現状がある以上、
仕事としては国内よりも海外を選ぶことになると思います。

大好きなセネガルを、
深く考えさえしなければ、
良いところしか見えないセネガルを、
本当に好きだからこそ、
もっと深い問題にまで潜らないといけない。
問題の根を目指して、
あえて暗い道を突き進まなければいけない(ふぅ・・・)。

そう気づかせてくれたのは、
信頼する友人との対話。
その対話は感情的で美しくないものだったけれど、
結果として、良かったと今は思ってます。

まだまだ、
足元が弱い、自分。
生き方とか根本的な世界観とか価値観とかの相違に戸惑う日もあります。
特に、共感できるはずと安易に考えていた親友と意見が違えば、
心は揺れます。ぶれます。ちょっと傷つきます。

親愛なる友である親友から、
人生を懸けて目指すべき目標を、心の深い部分で共有できる真友へ。
そういうシフトが必要な年、2011年。

長文、失礼しました!!!
まだまだ書きたいトピックがあったけど、
これ以上長くなっても迷惑だと思うので、
それらは飲み込んで消化します!
ではでは。
Youssouこと浅田光義
doki lagone
年明けの同期旅行で(飯食い終わってから写真・・・)

neko
そんとき泊まったホテルのエレベーターホールの絵(秀逸すぎて俺でも書けそうです)

それでいい

それでいい
言葉:Youssou
「死にたい」なんて言うからさ、
慌てて「自殺は絶対ダメだぞ」って言った。
そしたら「正論いうなよ」って呆れられた。
その眼は「何にも分かってないな」って言ってた。
死にたいなんて言うやつの気持ちが分かってたまるか。
お前が死んだら俺は悲しいじゃないか。
死ぬな。苦悩を突き抜けろ!

「頑張れ」

本気の「頑張れ」はいつだってタブーじゃない。
心と心の友情があれば、
誰も自ら死にたいなんて思わなくていい。
かける言葉が見つからないとき、
なんでもいいから、叫んだらいいと思う。
自分が思うままに誠実に気持ちをぶつければ、
どんなときでも、
シンプルに、
迷わずに、
それでいい。

頑張らなくてはどこにも行けないこの世界。
頑張ればどこにでも行けるこの世界。
理不尽な艱難はあれど、
それぞれがそれぞれにつまづきながら前に進む。
歩くスピードは速い方が良いけど、
自分なりにベストを尽くせば、
それがどんだけ速くても、
それがどんだけ遅くても、
それが自分にベストなスピードなんだろう。
スローライフもラッシュアワーも、
勝手に選んで楽しめば、
それでいい。
そう思う。

失敗のない人生なんてあるのかな?
後悔のない人生なんてある訳ない!
取り戻せないからこそ、過去。
予約できないからこそ、未来。
一瞬で過ぎ去るからこそ、今。
自他共に認めるいい加減な僕です。
だからこそ、
負けられない戦いがある。
でも、そういうのにもしばしば負ける。
やっぱり、勝たなきゃいけないとこは勝たなきゃだって、
痛いほど実感する。
血を流して、化膿したら、
痛みをこらえて押し出してこそ、快復の明日。
もっと強くなるよ。
こんな感じで、
力んで、まただれて、
もう一度、気合い入れる。
自信はないけど、
多分おそらく、
それでいい。

肝心なことほど、
答えが出ないままに、
一瞬一瞬が回答の刻。
連続不正解の中で、
偶然のひらめきに出会う。
知らない街を散歩して、
ふいに出逢う景色。
懐かしいような、
そうじゃないような、
心を惹かれる風景。
話したこともない人たちの交差点。
生活の息づく町外れの群像。
何一つまとまらないままに、
筆は進むけど、
まあそんな日もあるよね。
大切な問いは、
いつも胸の中に。
何が大切かを問い続ける旅。
この場所は間違ってない。
そう決めた。
迷うだろうが、
迷うな、俺。
浅はかでも、
面倒でも、
手紙を書き続けるから。
それでいいよね。
うん、それでいい。
三通目


PS.ちなみに冒頭のくだりは、僕や僕の友達に関する話じゃありません。ある知人から聞いた話が元になってたりします。

ひとつだけ

ひとつだけ
言葉:Youssou
長いよな
短いような
この人生で
大切なこと
ひとつだけ
選ぶとしたら
出来るだけ沢山
出来るだけ心から
出来るだけ思いっきり

笑うこと

笑顔が好きだ
笑顔だけあればいい
笑顔で死んでいきたい

怒った時も
次の瞬間に笑おう
寂しい時も
次の顔では笑おう
悲しい時も
次の日には笑おう
もう本当に
笑顔が大好き

世界中の銅像が
笑顔ならいいのに
世界中の絵画が
笑顔ならいいのに
世界中の写真が
笑顔ならいいのに
世界中の教室が
笑顔ならいいのに
世界中の家庭が
笑顔ならいいのに
世界中の戦場が
笑顔ならいいのに

そんなことばかり
考えてしまう

目の前の人が
いつも笑顔でありますように
そう願いを込めて
僕はおどける
僕は失敗する
僕はつまづく
僕は間違える
僕はからかう
僕は変顔する
僕は笑う
そしたら君に
笑顔の花が咲く

そんな風に
笑顔を交換してるうちに
僕はもっと人が好きになる
笑顔の為だったら
全てを懸けたっていいって思う
本物の笑顔に会うためには
難しいことはいらない
心を砕いて
心を開いて
心のままに
笑えばいい

気の利いた言葉もいい
練りに練ったジョークもいい
笑いの神様の贈り物もいい
でもそれがなくても大丈夫
本当に何気ない日々の
何気ないことに笑う人であれば
世界中が味方になる
世界中に愛が溢れる

笑顔を求める心は大きい
世界を包めるほどに大きい
笑顔を生み出すその心は
どんな兵器よりも強くなる

嫌な奴にあってもさ
遠慮なく笑わそうよ
人間だったら誰だって
笑顔が好きなんだ
自分だけじゃなくって
一緒に笑おう

今、
どんな感動よりも
笑顔に会いたい
笑顔と共に生きたい
この意志には
永遠不変の価値がある
ひとつだけ選ぶなら
なにはなくとも
笑顔の一枚
二通目

どこにでも

どこにでも
言葉:Youssou
I can go anywhere.
You can go anywhere.
この世界に生きている限り、
僕らはどこへでも行ける。
何にでもなれる。
命っていうGIFTが最高である訳は、
そこに全ての自由が詰まっているから。

無限にも思える無数の元素が、
奇跡のように結びついて彩られる世界
あるときは都会の街角に、
あるときは大自然の真ん中で、
あるときは古びた図書館の片隅で、
いい加減に気付いてくれよと、
メッセージが点滅してる。

誰が認めなくたって、
お金が生じなくたって、
親が反対したって、
かまうこたない。
たった一人、
それを信じてればいい。
それは自分でいい。
それが親友なら尚いい。

まあ、世知辛い世の中だ
徒手空拳では心許ない
簡単に信じれば、
簡単に裏切られたりもする
自分だけが背負うべき荷物も重い
視野が極端に狭まるコーナーもある
嘆きたくもなるし、
刹那の喜びを集めたくもなる

だけど。
ここはやはり、「だけど」だ。
沢山の繋がりの中に生かされて、
その繋がりに足を取られたって、
転んだ大地の確かさに気付けばいい。
その道の広がりに立ち尽くせばいい。

まだまだ、まだまだ、
この物語は膨らんでいける。
全世界の人々が織りなす協奏曲に、
渾身の一曲を加えていける。
雨季の始まりに広がる雑草のように、
雨季の真ん中に生じる虫の大群みたいに、
乾季のはしりに舞う落葉のように、
乾季の終わりに吹き荒ぶ砂塵のように、
数十億の一人一人が、
自分のことばかり考えて、
時々、誰かのことを考えて、
想いが不協和音に放射して、
それを楽しむ僕でありたい。
それを楽しんでる君に逢いたい。

ふと気が付けば、
隣を歩いている人がいなくなった。
道を間違えたみたいな不安の中、
ちょっと眠れない夜もしばしばある。
みんなそれぞれの道を選んで、
その結果、孤独に似た感情に出会う。
僕の自由の隣には寂しさが住んでる。
それを認めることも僕の自由に伴う責任かと思う。
そんな時、
そっと他の人を想う。
もうこの世を去った人のことも想う。
そんなことで和らぐ痛みもある。
どこへでも行ける。
どこまでも行ける。
それが分かったから、
不可能なんて言葉、
もう必要ない。
一通目

やはり記録しておくべきセネガル最大の祭り(TBSK2010)★

今さっき、庭にあるマンゴーの苗木に水をあげていたら、
外から割と大きな石を投げ込まれ、怒り心頭
ま~~子どものいたずらだって分かっちゃいるんだが、
どんだけ俺がこの国、そしてこの町を愛してるか知らんのかぁ!!!
・・・とアフリカの西端で愛と怒りを叫んで興奮冷めやらぬユッスーこと浅田です(-_-;;;

今日は先週の17日に行われていたセネガル(ムスリム)最大の祭り、
TBSK(タバスキの意)について、書いていきたいと思います★

これについては、
すでに他のセネガル隊員さんがそれぞれのブログで語っていて、
僕としても同じような体験をした訳なんで、まぁ書かなくてもいっかと思ってたんですが・・・。
TBSKくらいはやはり記録しておくべきだと思い直し、タイトルに至ります。

・・・と、ここまで書いたところで、
同居人が夕飯のサンドウィッチを買ってきてくれ、
それを食べながらいろいろ話して、
お茶飲んで、本読んで、メール送って、
と過ごしていたら、冒頭の興奮はどこへやら。。。
とどのつまり、僕が愛するセネガルのジャム(平和)とテランガ(もてなしの心とか訳される、友情の心)は、
本質的には、名前も知らないチビッ子の石ころでは1mmも揺るがないんです☆

で、話をタバスキに戻します。
「おいらスキスキ、タバスキ~」という曲があったら、
歌詞は俺に書かせろ!ってくらいに、タバスキ好きです。
今年は2度目にして、今回のセネガル生活では最後のタバスキでした。
では、ここから写真で振り返ってみますか☆
尚、今回は羊の首が切られてる写真は載せません(特に深い理由はないっす)ので、
見たい人はリンクから飛んで、僕の同居人のブログで見て下さいな。

1
これがこの日最初の一枚。左は福ちゃんで真ん中は30分後に首を落とされる雄羊。

2
この4人が僕のこちらの家族の女性陣です。右から、ママサネ、チロー、ハディ、ビントゥです。
性格は豪快なところもあるけれど、みんな超優しくて、大好き。
男性陣が羊をさばいている間、こうして野菜の準備をしてます。

3
これは、配属先である森林局のシェフとその家族と僕の同僚隊員ですね。

4
で、これが森林技官ファミリー。全員揃うまで待った・・・待ったよ、僕ら。

5
続いて、職場の秘書(真ん中の男性)の家。

とまあ、職場関係の人たちに挨拶回りにみんなで行きました。
これやっとかないと、「タバスキんときに、なんでうち来なかったんだ!!」ってしつこく言われるんだよね(^^;

6
で、朝からおじゃましてるこちらの家族の家に戻ると、
子どもたちは昼寝してました。めちゃ可愛いなぁ、my kids。

で、家族のとこで昼ご飯を食べた後、疲れたからちょっと昼寝しに自宅に帰りました。
7
でちょっと寝て起きたら、近くの活動村から、女の子が僕を訪ねてきました。
もちろん、目的はお小遣い(お年玉のようなもの)なんですが、
小銭を切らしていたので、写真だけ撮って、バイバイしました。
それにしても、みんなオシャレ☆!!

8
で、日が暮れてからもう一度家族の家に。
これは去年も撮った、子どもたちの集合写真です。
いや~皆大きくなったね。

9
これは家族の隣の家に住んでるマジゲーンという女の子。
犬でいったらポメラニアン級のかわゆさですな☆

10
一日の最後を締めくくったのはクレイジーなダンスタイム!!
TVの音楽に合わせて踊りまくったおかげで、
家に帰ってからしばらくは喘息でコーホーコーホー(ウォーズマン状態)。
同居人のこーへいも、これが一番疲れたみたいでした。

なんか淡々と綴っちゃいましたけど、
今回のタバスキは本当に最高だったな~。
また確実にセネガルに来るから、
これが最後のタバスキではないんだけど、
来年来れるかは微妙だなぁ。。。

セネガルLoveが一段と増したTBSK(誰も使ってない略語)でした。

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