ユッスーの日々

挫折と挑戦の二重らせんの日々を綴るユッスーのブログ。

どこにでも

どこにでも
言葉:Youssou
I can go anywhere.
You can go anywhere.
この世界に生きている限り、
僕らはどこへでも行ける。
何にでもなれる。
命っていうGIFTが最高である訳は、
そこに全ての自由が詰まっているから。

無限にも思える無数の元素が、
奇跡のように結びついて彩られる世界
あるときは都会の街角に、
あるときは大自然の真ん中で、
あるときは古びた図書館の片隅で、
いい加減に気付いてくれよと、
メッセージが点滅してる。

誰が認めなくたって、
お金が生じなくたって、
親が反対したって、
かまうこたない。
たった一人、
それを信じてればいい。
それは自分でいい。
それが親友なら尚いい。

まあ、世知辛い世の中だ
徒手空拳では心許ない
簡単に信じれば、
簡単に裏切られたりもする
自分だけが背負うべき荷物も重い
視野が極端に狭まるコーナーもある
嘆きたくもなるし、
刹那の喜びを集めたくもなる

だけど。
ここはやはり、「だけど」だ。
沢山の繋がりの中に生かされて、
その繋がりに足を取られたって、
転んだ大地の確かさに気付けばいい。
その道の広がりに立ち尽くせばいい。

まだまだ、まだまだ、
この物語は膨らんでいける。
全世界の人々が織りなす協奏曲に、
渾身の一曲を加えていける。
雨季の始まりに広がる雑草のように、
雨季の真ん中に生じる虫の大群みたいに、
乾季のはしりに舞う落葉のように、
乾季の終わりに吹き荒ぶ砂塵のように、
数十億の一人一人が、
自分のことばかり考えて、
時々、誰かのことを考えて、
想いが不協和音に放射して、
それを楽しむ僕でありたい。
それを楽しんでる君に逢いたい。

ふと気が付けば、
隣を歩いている人がいなくなった。
道を間違えたみたいな不安の中、
ちょっと眠れない夜もしばしばある。
みんなそれぞれの道を選んで、
その結果、孤独に似た感情に出会う。
僕の自由の隣には寂しさが住んでる。
それを認めることも僕の自由に伴う責任かと思う。
そんな時、
そっと他の人を想う。
もうこの世を去った人のことも想う。
そんなことで和らぐ痛みもある。
どこへでも行ける。
どこまでも行ける。
それが分かったから、
不可能なんて言葉、
もう必要ない。
一通目

やはり記録しておくべきセネガル最大の祭り(TBSK2010)★

今さっき、庭にあるマンゴーの苗木に水をあげていたら、
外から割と大きな石を投げ込まれ、怒り心頭
ま~~子どものいたずらだって分かっちゃいるんだが、
どんだけ俺がこの国、そしてこの町を愛してるか知らんのかぁ!!!
・・・とアフリカの西端で愛と怒りを叫んで興奮冷めやらぬユッスーこと浅田です(-_-;;;

今日は先週の17日に行われていたセネガル(ムスリム)最大の祭り、
TBSK(タバスキの意)について、書いていきたいと思います★

これについては、
すでに他のセネガル隊員さんがそれぞれのブログで語っていて、
僕としても同じような体験をした訳なんで、まぁ書かなくてもいっかと思ってたんですが・・・。
TBSKくらいはやはり記録しておくべきだと思い直し、タイトルに至ります。

・・・と、ここまで書いたところで、
同居人が夕飯のサンドウィッチを買ってきてくれ、
それを食べながらいろいろ話して、
お茶飲んで、本読んで、メール送って、
と過ごしていたら、冒頭の興奮はどこへやら。。。
とどのつまり、僕が愛するセネガルのジャム(平和)とテランガ(もてなしの心とか訳される、友情の心)は、
本質的には、名前も知らないチビッ子の石ころでは1mmも揺るがないんです☆

で、話をタバスキに戻します。
「おいらスキスキ、タバスキ~」という曲があったら、
歌詞は俺に書かせろ!ってくらいに、タバスキ好きです。
今年は2度目にして、今回のセネガル生活では最後のタバスキでした。
では、ここから写真で振り返ってみますか☆
尚、今回は羊の首が切られてる写真は載せません(特に深い理由はないっす)ので、
見たい人はリンクから飛んで、僕の同居人のブログで見て下さいな。

1
これがこの日最初の一枚。左は福ちゃんで真ん中は30分後に首を落とされる雄羊。

2
この4人が僕のこちらの家族の女性陣です。右から、ママサネ、チロー、ハディ、ビントゥです。
性格は豪快なところもあるけれど、みんな超優しくて、大好き。
男性陣が羊をさばいている間、こうして野菜の準備をしてます。

3
これは、配属先である森林局のシェフとその家族と僕の同僚隊員ですね。

4
で、これが森林技官ファミリー。全員揃うまで待った・・・待ったよ、僕ら。

5
続いて、職場の秘書(真ん中の男性)の家。

とまあ、職場関係の人たちに挨拶回りにみんなで行きました。
これやっとかないと、「タバスキんときに、なんでうち来なかったんだ!!」ってしつこく言われるんだよね(^^;

6
で、朝からおじゃましてるこちらの家族の家に戻ると、
子どもたちは昼寝してました。めちゃ可愛いなぁ、my kids。

で、家族のとこで昼ご飯を食べた後、疲れたからちょっと昼寝しに自宅に帰りました。
7
でちょっと寝て起きたら、近くの活動村から、女の子が僕を訪ねてきました。
もちろん、目的はお小遣い(お年玉のようなもの)なんですが、
小銭を切らしていたので、写真だけ撮って、バイバイしました。
それにしても、みんなオシャレ☆!!

8
で、日が暮れてからもう一度家族の家に。
これは去年も撮った、子どもたちの集合写真です。
いや~皆大きくなったね。

9
これは家族の隣の家に住んでるマジゲーンという女の子。
犬でいったらポメラニアン級のかわゆさですな☆

10
一日の最後を締めくくったのはクレイジーなダンスタイム!!
TVの音楽に合わせて踊りまくったおかげで、
家に帰ってからしばらくは喘息でコーホーコーホー(ウォーズマン状態)。
同居人のこーへいも、これが一番疲れたみたいでした。

なんか淡々と綴っちゃいましたけど、
今回のタバスキは本当に最高だったな~。
また確実にセネガルに来るから、
これが最後のタバスキではないんだけど、
来年来れるかは微妙だなぁ。。。

セネガルLoveが一段と増したTBSK(誰も使ってない略語)でした。

ユッスー

写真で振り返る2010年雨季の私

ども!!お久しぶりです★
長きに渡る下痢を乗り越え、
一段とスキニージーンズが似合うようになったユッスーこと浅田です。

俺のblogってなんか文字多いし、
内容も深夜に書いてるのバレバレだよね!ってようやく気づき、
今回は写真を並べてみようと思ったのです。

では、まず任国外旅行で行ったカーボベルデの写真から。
cabo2
イメージは薩英戦争でしょうか。よく見ると、目がマジというところがポイントです。

cabo1
透き通る海と一対の男女。このあと写真右上の方向へ、
決死の移動を敢行しました。だって海を行った方が近回りだったんだもの。

shokurin
これは、伝説の植林ボランティアに行った時の格好ですね。
アフリカ人250人と一週間で2000ヘクタールを植林するという、
ムチャ過ぎる企画に乗っかって後悔しながら頑張ってるという表情です。

naehata
こちらは活動村の女性グループリーダーと苗畑と私です。
左手奥がマンゴーの苗木でそれ以外はユーカリです。
マンゴーの値段設定が高いので、見事に売れ残ってます★

korite
この日はコリテというラマダン明けのお祭りでした。
村の女性(おばちゃん)達とは相思相愛です★


densha
セネガルにも電車があるんですよ!!それに乗った時の写真です。
手にかざしているのは一等車の切符です★
ちなみに左の小さい人が、今年の友情ドラフト一位指名、マッキーです。

tanjobi
これはセネガル人の親友(エラージュ)にもらった誕生日プレゼントです。
すごくない?!この箱!!このリボン!!出来るセネガル人は日本人をもしのぐセンス!!
中にはセネガル服と、香水が入ってました☆

kankun1
空芯菜はじめました、の図です。この元気なさげな葉っぱから、
今では緑一面って感じになっています。今度、村の畑に移植予定♪

petit1
これはお馴染み(?)のプティです。プティと言えば親友。親友と言えばプティです。
現在、セネガルにいるすべての人の中で、僕が一番信用しているのはこの男です。

dahra
愛と自由と平和と商業の町、それはダーラ。
そこで活動する仲の良い隊員たちが書いた絵の前で撮った写真です。

30syunen
村落会という組織の長をさせてもらってる私ですが、
こないだダカールの超有名ホテルで行われた、日本とセネガルの協力隊事業30周年式典に、
ブースを出展しました。右の男性は、言わずと知れた同居人、こーへいです。

30syunen2
同期の皆と撮った写真です。一言でいえば、最高の仲間です。
皆、個性的で、本当に最高の面子。

tanjobi2
これはつい最近ですが、同居人こーへいの24歳の誕生日をみんなで祝いました。
こーへいにかぶらせる冠を作った時に、必然的に出来るもう一組の冠を、
僕の分として用意してもらいました。いや~年の差6歳!!ま、あまり感じていませんが。

youssou
最後は、活動村のユッスー(同じ名前)君との写真です。
この子は、こないだまで目が病気で開かなかったんですが、
僕が薬買ってあげたら、幸いにすぐ良くなって、皆ハッピーの図です。
ま、お金や西洋医学で解決出来るものは、解決しちゃいましょう。


という訳で、久しぶりの投稿は写真満載でやってみました。

これから、毎週木曜日(日本時間で金曜の朝かな?)に記事をアップしていく予定なので、
どうぞ宜しくお願いします!!

皆さんもお元気で!!

ちなみに、明日はタバスキ(セネガル最大の祭り:犠牲祭)です!!

三十路。

20代が終わり、
三十路が始まりました。

僕の人生も佳境に入りました。

自分らしさも随分と分かるようになりました。
ていうか、「自分探し」を客観的に見れる年になり、
自分が進むべき進路と、その為に知らなければいけない世界が、見えてきました。

という訳で、去る9月17日に30歳を迎えました、ユッスーこと浅田です。

誕生日は超幸せでした。
もう、涙が出るくらい感動しました。
愛されてるな、俺。
友達みんなと相思相愛。

今日は、そんな僕が三十路を迎えたときに、
皆の前でさせてもらったスピーチを綴っていきたいと思います。

ちなみに、
誕生日当日は、ダカールでした。
9月19日に帰国を控えた先輩隊員たちのソワレ(パーティー)のための上京です。
同じく、そのソワレに参加しようと沢山の隊員がダカールにおりまして、
そのおかげで沢山の友達が僕の誕生会に参加してくれたのです。

そして、17日に日付が変わった瞬間が。。。
ドミの2階で用を足していた私、
一回のサロンに降りると、電気が消えていて、
お馴染みの顔が笑顔で待ってくれてました。
そんで、ハッピーバースデーの歌と共にケーキが運ばれてきました。
無謀にも「浅田光義聖誕祭」と称して、自分主催で、
誕生会をやってやろうと思っていたのに、
結局、親友たちに蔭でお膳立てしてもらっていて、
本当にサプライズでした。

ろうそくを吹き消した後、
ちょっと一言喋ってもいいような雰囲気になり、
数ヶ月間考えていたスピーチをここでやらしてもらおうと思いました。
いや~~~本当に面倒くさい人間です、私。

ではここから、記憶を辿って話した内容を書きます。

皆さん、ありがとうございます!!!
普通だったらここで15秒くらいで30歳を迎えての、
感謝と抱負と心境などを挨拶するのですけど、
僕、ここ数ヶ月間、今日の為にずっと悩み考えてきたことがあるので、
も~~~しわけないが、7分間下さい。
(ここで、一同「長過ぎる!」「1分で!」などとブーイングに似た励まし)

え、長い?じゃあ頑張って5分位で喋るんで、耐えて!!
(ここでも「いや、長くても2分!」という温かい振り)

実は、3ヶ月前くらいから30代をどういう決意で生きていくかって、
すごく悩みながら考えてまして、その一つの答えが8月の中頃に出たんです。
それは壮大な夢といってもいいくらい大きな目標で、
それを今日皆の前で発表して、勢いをつけて三十路に突入しようと思ってました。

なんですが、それから僕はその目標の大きさに潰されて、深刻なスランプに陥っていったんです。
一昨日くらいなんて、もう自分の誕生会も、皆の前での決意発表も全部キャンセルして隠れるように静かに過ごしたいって思ってました。
でも、何人かの人はすでに声かけちゃったし、ダカールには上がるし、
でも、何をやってもはかどらなくて、こんな調子でどうにかなるような目標でもないし。。。まじで葛藤してました。

そしてダカールに上京する昨日の朝。
洗面所の鏡の前に立って、驚きました。
伸びきったぼさぼさの髪、だらしなく伸びた無精髭、目の下の深い隈。
こりゃ、こいつにはあの夢を追いかけるのは無理だなって諦めがきっぱりついたんです。
今まで少年漫画の主人公のように夢を語り、
それを追いかけ続けて20代が過ぎ、そして30代にさらに大きな目標を掲げる。
そんな生き方に本当に無理が来たんだ。俺、本当に無理してたんだな。もう、無理するのはやめよう。
そう思ったら、ものすごく気分が楽になっていくのを感じました。
友達に恵まれただけの、情けない男として、
それでもその最高の友達と誕生日を過ごせるだけでいいじゃないか!そう思ったんです。

気楽になった状態でダカールに上がる荷物を準備していると、
ふつふつといろんな想いがまた湧き上がってきました。
無理してたとはいえ高い目標に向かっている自分と切磋琢磨してくれる親友がいたよな。
何人かの後輩はこんな自分の背中を追いかけてくれてる。
希望に溢れた言葉を吐き続けていた自分に、期待してくれている人たちに申し訳ないなぁ。
それより、根拠も無いのに絶対にやってみせると言っていた頃の自分は結構楽しかったし、好きだったなぁ。

俺、今ここで夢を捨てたら、俺でいられるのか?

急に怖くなる自分。

いかん、なんとかしなければ。

ダカールに着くまでも着いてからも、
誕生日を迎える深夜0時まで、その気持ちの動揺に振り回されてました。

そして、日付が変わる直前に、
気持ちがまとまりました。
なので、一応晴れやかな顔でこの場に立ってるんです。
長かったけど、ここまでが前置きね。(ここまで約5分)
(「前置き長すぎる!」「もう2分過ぎた!」という本音に加えて、
「まだ俺の時計では2分も経ってないぞ!」という男気に溢れる声も)

で、ですね。
結局、俺は8月に決意した夢を実現する為に努力し続けたいって結論に達しました。
でも、今の僕では、その目標は大き過ぎて全く相応しくないっていうことも自覚しています。
だから、絶対に叶えてみせる!なんて言えない。
でも、31歳の誕生日には今よりも少しその目標が近づいて、ほんの少し信憑性が生まれて、
32歳の誕生日にはもう少し近づいて、そうやって年々、ほんの少しずつでもこの目標を目指すことが相応しい男になっていきたい。
そういう風に今は思っています。

そして、その目標は、「世界の平和と安定に最も責任のある職責につくこと、
それすなわち、国連の事務総長を目指すこと」です。
世界でも最も厳しいといわれている現場に入り、そこでたくましく生きる人たちの力になりたい。
国連PKO代表(国連事務総長?)でも、国連難民高等弁務官でも、UNICEFでもWFPでもいいのですが、
少しでも責任の大きな立場に立って、大きな役割を果たしたい。
それが今は全く途方も無い、僕の夢です。

自分がこうやって希望を捨てないでいられるのは、
本当に皆さんのような親友の存在があるからです。
これからもこんな俺をどうぞ宜しくお願いします。

以上、三十路に入ったユッスーこと浅田光義でした。
御静聴に感謝感謝!!

予定通り、7分くらい掛かりましたが、大体こんなことを話しました。

その後、待ちかねたよ!!って空気を切り裂くように、
シャンパンが開けられ、コルクがこっちまで飛んできました。
いや、本当サプライズすぎるよ!!!!
俺、酒飲めね~けど、感動したっす!!

そして、皆がメッセージを書いてくれたなんと30ページに及ぶ、
手作りのメッセージブックが渡されました。
もう、何度も読み返してます。

さらに、
文房具好きの僕にイケてるノートとペンのプレゼントがあり、

さらにさらに、
スペイン旅行にサチエスタたちが行ったときに作ってくれた、
背番号30(三十路)のBKと名前の刻印された、
レアルマドリードのユニフォームが贈呈され、

さらにさらにさらに、
サチエスタが、同期のメッセージも集めた、
バースデイスペシャルムービー(なんと6分!!)を上映してくれ。

もう、言葉で言い表せないほどの感動でした。

頑張るよ、俺。
本当に、みんなありがとう。
特に、さっちんと金子りん、本当にありがとう。

世界一友達に恵まれた男、ユッスーこと浅田光義でした。

それでも続く物語へ

理不尽な病気と闘う友人に贈る

それでも続く物語へ

雨の季節だっていうのに
嫌んなるくらい晴れ渡ってて
蒸し返る道路と日差しの間で
君は白昼夢に眩暈する

そういえばこの季節ってのは
意外に空気が澄んでるんだっけ?
重みのある真っ白な雲は
また嫌んなるくらいに自由だ

理不尽なほどに急な夕立が
その後に綺麗な虹の夕焼けを用意してること
信じられないほどに僕らは“近眼”になった
それはきっと、長い間を狭い部屋で
TVばかり見て育ってきたからだろう

遠くにあるはずの過去を
顕微鏡で見ているような距離感
そういう現実を僕らは受け止めて
焦点の合いそうもない日々を
ぶれながら歩いていく

そもそも僕が君に
贈れそうなものなんて何も無い
七夕の季節だったなら
短冊にしたためることくらいは出来たかもしれない

棋聖が既に詰んだ展開だとしても
知らん顔で物語は続く
どれを選んでも悪手と知っていながらも
次の一手は打たれなくてはいけない
投げ出せないし、投げ出せないから、
明後日あたりに巡り来る好機

水面をすいすいと運ばれる一片の笹舟
横目に見ながら僕達はせわしく犬掻き
それでも物語は河口へと流れる
君だけが知る浪漫を乗せて

いつの間にか雨はやんで
清々しい夏の午後
明日には熱波が押し寄せて
ずぶ濡れの今日を忘れる
何も知らずに生まれてきたけど
大人になっていくことは
やはり忘れていくことかもしれない
知らなくてはいけないことなんて
何も無いのかもしれない

それでも続く物語に
目一杯の愛情を
それでも続く物語に
飛び切りの友情を
それでも続く物語に
特別な戦場を
それでも続く物語に
幸せな群青を
それでも続く物語に
君だけの頂上を

GIFT of the MUSIC

フジファブリックというバンドの核である志村くんが急死してから半年以上経った。

僕と同い年だった。

もちろん、面識なんて無い。

単に僕が彼らの音楽のファンだった。

彼が亡くなる前の数ヶ月間のブログを読むと、
音楽が溢れるように生まれてきて、
それを必死でレコーディングしている様子が綴られてる。

でも、そんな中で、彼は急死した。

自殺かな?とやはり思った。
彼は多分に繊細なところがあったから。

でも、急死は急死だ。
残念だけど。

そして、
大きな喪失感を持って僕の2009年は暮れてった。

そして、
2010年の7月の終わり。
『MUSIC』という最終の新アルバムが発売された。
志村君が生前にレコーディングしていた楽曲を、
残されたメンバーで仕上げたものだ。

それを予約して買ったんだけど、
まだセネガルには届いていない。
でも、ふと視聴でもいいと思って、ネット上で視聴してみた。

一曲目、
『MUSIC』
イントロ聴いたら、涙が出そうになった。
初めての経験だった。

最終曲、
『眠れぬ夜』
歌い出しが聴こえた時、魂が震えた。

志村君、
君の才能は、
その純粋な努力に裏打ちされた才能は、
君の尊敬するミュージシャンを越える音楽を作り出してる。

もっと長生きして欲しかったな。
同世代が志半ばに倒れるのは、
残された者にとってこうも悲しく、惜しいものなのか。

今いる場所の海図を見失ったまま、
水平線の果てを目指して進む船。

僕の命が尽きるまでに、
僕のGIFTが明らかになったらいいな。

センチメンタルな2010年、雨季の真ん中。

カーボベルテから(セネガルへ)の帰国

晴れ渡る空!
透き通る海!
大西洋の島々!
ラテンの陽気な人々!
平和で溢れかえった町並み!
その他もろもろ!
とは裏腹に、多重債務者のように重い心を抱えて生きるユッスーこと浅田です。

My dear friendsの皆さん、
お元気ですか?
大西洋に浮かぶポルトガル圏の島国、カーボベルテ1週間の旅より、
先日、セネガルに帰国しました。

足ヒレを装着して、視界10メートルを越える透き通る南国の海でバカンス。
最高でしたよ!!

うん、最高。

でも、俺の心は切迫感で一杯。

悲愴な決意を胸に、
あと一ヶ月で30代に突入。

9月にあると思っていたフランス語の試験は、
どうやら無いみたいで、おそらく次は12月とのこと。

B2(仏検準1級レベル)を受けるか、C1(仏検1級レベル)を受けるか。。。

無謀にも来年の3月にC2(最高レベル)を目指す身としては、
モチベーションの持って行きかたも含めて、迷うところであります。

話はカーボに戻りまして、
写真は次回載せようと思いますけど、
とにかく小奇麗で素敵な島国でした。
セネガルに比べると活気が無いと言えば無いんですが、
落ち着いていて、定住するのも悪くないとこです。
世界にはまだまだ魅力的な場所が沢山ありそうですな。
将来(仕事を引退してから)、友達と暮らす村作りを夢見てる僕です。
村はどこに作ろうか、もっともっといろいろ見て回らないといけませんな。

さて、カーボ。
一緒に行った協力隊員の友達は、
棚田が綺麗だねぇ、とか、山があっていいねぇ、とか言っていましたが、
沿岸部を除く島の中心部は、僕の目にはかなり悲惨に映りました。
痩せた土地にセネガルよりも貧しそうな村。
苦労しているんだろうなぁ。
政治は何やってるんだろうか。
いろいろ感じました。

ま、それはさておき。
やっぱり、自分の周りには魅力的な友達が沢山いるな~と、
再確認した旅行でした。
皆、人柄というかキャラが素晴らしい!!面白い!!
今後とも、どうぞ宜しく!!

以上、取り急ぎの更新でした。
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