2008年の新年を迎え、僕は27歳の学生だ。
2010年には30歳になる。
21世紀の夜明けを新成人で迎えられたことが、
「21世紀は僕らの世紀だ」と思わせた。

戦争と科学技術と民主主義の20世紀に生まれ、
テロとグローバリゼーションの21世紀を生きている。
21世紀をどう創っていくかなんて話を普通の青年はしない。
自分にとっての自分ひとりの価値は今まで以上に大きいくせに、
社会にとっての一人の価値や存在は極限まで薄められている。
なんだか、政治家か企業家かアーティストにでもならなきゃ、
何も生み出せない、何も変えられない、そんな現実らしきものがある。

たとえ、この声が届かないとしても、
僕らの世紀の絵は、誰にも描く権利があるはずだよね。
何を企むでもなく、ただ生きていて気持ちいい時代に向かいたい。
あまりにも理不尽な人生があるのなら、単純にそれを無くしたい。

今あるものはそれはそれで良いものも多いんだと思う。
憲法とか、情報網とか、医療とか、基礎教育とか、温泉とか。
庶民感覚では、全く要らないように見えるものにも何かしらの意味があるのかもしれない。
賄賂とか、駆け引きとか、軍隊とか、ゲノムとか、貧困や富豪とか。

今、この地球上にいる人の99%以上は今世紀中にこの世を去る。
大統領もホームレスも、何も為さずに終わるなら、所詮は21世紀の石ころ。
何が言いたいかって、もっとみんなで理想を語り、それに向かって人生使おうって話。

仕事や家庭があれば、他のこと考える余裕なんてないのかもしんないけど。
他のこと考えてなんぼだよ。
自分の手が届くとこは、自分でなんとでも出来る。
けど、自分の手だけじゃとどかないとこは、みんなで協力しなきゃいけない。
えてしてそういう部分が目に見えない将来の不安となってストレスの種になるもの。
老後が不安。健康が不安。政治が良くない。経済格差がどうだこうだ。地球環境は?!
こんなことは、センター試験の現代文の問題を解くようなもので、
要は答えが難解な問題文の中に隠されているというだけの話。
数学の問題は、公式を知らなきゃ時間内に解くことはほとんど不可能だ。
だけど、いま僕らが抱えてる問題は、丁寧にそれを読んでいけば答えが導き出せるたぐいのものだ。

話は末広がりになって、拡散寸前だけど、
タイトルに戻れば、今年から2010年末までの3年が僕らの正念場。
否、僕の正念場。
やっぱ、僕らの正念場か。
僕らが生きる世界のあるべき姿を想像して、
それに向かって、今ある社会の姿を大事にしながら、
より良い時代を創造していきたい。
そういうことが出来る人に僕はなりたい。
そのために、勇気と鼻血を振り絞って努力していきたい。

2008年 元旦+α