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僕の生涯の宿敵は「極度の貧困」だと心に決めている。
自分自身に克ってこその挑戦権。

ともあれ(口癖)。
わが身を振り返れば、
決して裕福な少年時代では無かった。
初めての万引き(小5)も、スリルなんかは1%も求めていなかったな。
ただ、そのお菓子が欲しかった。それだけ。
でも、結局すぐにバレて、親父に殴られまくった。
母さんにかばってもらったけど、その母さんまで一緒に殴られたのが辛かった。
翌日、母さんから「何か欲しいものがあったら、何でも買ってあげるから、もう二度と盗んじゃいけんよ。本当に何でも買ってあげるから、言いなさいね。」と言われたときは、
子ども心に(母さんは僕が本当に欲しくて盗ったことを分かってくれてるんだ。)
って安心したのを覚えている。
さすがに、それからは反省したし、お金のある家じゃないと思ってたから、
「何でも買ってくれるって言ったよね!」なんてことは言わなかった。
実際に、我が家には“3時のおやつ”は一度も無かったし、
クリスマスプレゼントも自由帳だったりした。記憶の中の冷蔵庫はいつも空っぽ。
本当にお金が無かったのかもしれない。
それとも、親心で子どもに贅沢をさせるとわがままになると、
節約を教えてくれてたのかもしれない。

意外に昔話が長くなってしまったけど、
幸いにも、父が40歳で始めた事業は、彼の血の滲むような努力で実を結び、
我が家はお金に困る家ではなくなった(ようです)。
豊かになったからって、格段に幸せになったわけじゃあない。
ただ、貧しいときの方が幸せだったなんて言い切れない。
大学まで出してもらったことにマジ感謝してます。

貧しさは不幸ではない。
だけど、極度の貧しさは、不自由で、不安定で、理不尽で、不幸だ。
その削減ないしは撲滅は人類の課題だ。
だけど、豊かな国にいる人たちは、「極度の」貧しさなんて理解できない。
どうしても、たかをくくってしまう。
貧しさの中にあるのは、彼らが怠惰であるから。運が無いから。能力が無いから。
僕も人のことは言えない。
ホームレスを見ると、なんで働かないのかと思ったりする。
僕自身、分かってないことをこれ以上言うのはやめよう。

ただ、この問題に真面目に向き合っていると、
「Life(生命・生活・人生)」がどれだけ大事なことか分かる。
大事なことを大事だとストレートに分かることは価値があると思う。

ところで、
世銀(国際復興開発銀行)の2008年度レポートを最近勉強している。
タイトルは"Agriculture for Development"
農業・農村開発の重要性がまとめてある。
世銀がレポート30年目の節目に選んだのが「農業」だ。
25年ぶりの農業。25年間、先進国で進化し続け、途上国で停滞し続けた農業。
農業に注目した理由を「貧困削減のため」と明確に記述してある。
貧困削減と飢餓撲滅のためには教育も大事。インフラ整備も大事。小規模金融も大事。
そして、農業はかなり大事。

漠然とした巨大な宿敵と戦うために、
農業・農村のあり方に注目したい。
所詮は非力な自分。分かり得ない世界の窮状。
せめて学ぶことで、現実的な力を得ていくしかない。

学は光。



*写真は「ハゲワシと少女」ケビン・カーター撮影
長期の内戦と旱魃により荒野となったスーダンにて撮影されたもの。
余りにも衝撃的で、悲劇的。カーター氏はこの報道でピューリッツァ賞を受けるが、
「なぜ少女を助けなかったのか」と非難にさらされる。
(彼は写真撮影後ハゲワシを追い払い、少女が歩み去るのを確認した。)
その後、葛藤の末に自殺(真相不明)。