もし、小学生に「なんで人を殺してはいけないの?」って聞かれたら、なんて答える?
もちろん、答えるだけじゃなくて、その子が納得するように話してあげなきゃいけない。
これって、難しいことかな?
多分、(今の日本では)難しいんだろうな。
昔だったら、例えば思いっきりげんこつを食らわせて、
「ほら、痛いだろう。でも、まだ生きてるよね。もし、誰かに殺されたらもっと痛いよ。」
なんて、馬鹿げたやり方でも良かったのかもしれない(^^;

でも、今は…。
満たされすぎて、夢や希望が見えない。
豊かすぎて、生きてることのありがたみが分からない。
薄っぺらの情報が多すぎて、まごころの声が聞こえない。
可能性が無限にあるから、自分の存在すら見失う。
お金が便利すぎて、値段のつかないものの価値に気付かない。
なんでもあるよで、

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 ここまで書いたところで親友のK(FOOUEEN)から電話が入りました。
 そんで、この続きはFOOUEENに託しました。
 ちなみに、彼は同世代としては世界一の詩人です(多分)。
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なんでもあるよで、なんでもある。
考える時間。考えすぎてしまう時間。

こうしている今も遠くサバンナでは、
飢えきったハイエナが獲物を待っている。
油断した獲物を狙っている。
時に獲物が同じハイエナだとしても。

「新鮮な魚」とは「死んで間もない魚」のことで
「鮮やかなお造り」とは「切り刻んだ魚」のことで

それでもを無心に喰らいつくのが「獣」で
それにあれこれ薀蓄たれながら喰らうのが「人間」で。

同じ対象でも、それぞれに異なる目的があり、色付けされる。

産まれて間もないハイエナは?
産まれて間もない人の子は?
狩もしないし、ジョークも言わない。

死に至る病?
それは何をもって「治る」のか。

もし、人間が手軽に喰われるような文明の下暮らしていたら、
わたしはあなたを喰っていたかもしれない。

いつか、織田信長が暗殺されて
当時の人々はさぞ困ったことでしょう。
しかし、明智光秀はそのつもりだったでしょう。

暗殺には必ず「つもり」がついている。
「つもり」の価値観は時代ごとに変わる。

時代は当時の民が作る。

だとしたら
そんな小学生に僕はこう言う。

「こら小僧。
そんなことより
一緒にCHAGE&ASKAでも歌おうではないか。次はピンクレディーだ。
いいか小僧、昔日本にゃあ、バブルの時代ってのがあってだなぁ…
…なぁ小僧。さっきの話、小僧はなんでそう思うんだ?」

今考えさせても答えは出ないし、出たとしてもその答えは不完全だ。
押し付けた答えなら時代は破滅に近い。納得してもそれは何の保障にもならない。

それでも問答は続ける。
混沌としたようで均衡を保つ、小さな平和状態。