親愛なる友達の皆さん(つまりは親友の皆さん)、
明けましておめでとうございます。
今年も、と言わずどうぞ一生ヨロシクお願い致しますm(-_-)m
セネガル暮らしにも慣れすぎるほど慣れ、
残すところあと僅か2か月の生活に名残惜しい今日この頃です。
そういや今年の干支って何だっけ?と考えたとき、
去年が丑だった気がするから、今年は寅かな?と思っていたら、
うさぎでした。寅をすっかり飛ばしてました。
まぁ一事が万事この通りなので、
日本の生活に適応出来るか不安であります。

で、一か月あまりお休みしていたこのブログですが、
タイトルの通り、イイタイコトを吐き出しちゃおうとドキドキしてます。
本当はね。
面と向かって誰かに言えないようなことを、
ブログとかTwitterで公開するのって、ものすごく嫌なんです。
そういう人は有名人にもすごい多いし、
そういうのを見ると卑怯だなってすら思う。

でもね。
言いたくても言えない本音が溜まり過ぎて、
もはやどこに伝えたらいいのか分かんなくなっちゃったので、
2011年、一発目でぶちまけます。
青臭い正論も吐き出します。
勢いだけの理想論も投げつけます。
自分を棚に上げてよく言うよ!ってことも言うかもしれません。

なので、
浅田のたわごとを聞き流してやろうっていう寛大な人以外は、
是非ともスルーして頂きたい。
間違ってもコメント欄で議論に持ち込まないで下さいませm(-_-)m

さて、前置きが長くなりましたが、
まず、貧困をはじめとする社会問題について、です。
いきなり堅い話で恐縮ですが、
西アフリカの農村にまがりなりにも2年弱過ごしてきた自分の思いの丈を綴りたいのです。
「豊かなアジア、貧しい日本」という言葉が昔ありましたが、
その言わんとすることは、ここセネガルにいると肌で痛感します。
まして、セネガル最高と褒めちぎってきた僕は、
「セネガルにはお金が無くても、Jam(平和)と笑顔と逞しさと助け合いがある!」
ってことに日本人が感嘆したり、
場合によっては羨ましいとさえ思うことは十二分に理解できるのです。
ただし、それはあくまで、
先進国に生まれ育った私たちが、
2年間という期間限定で、
十分な生活費と居住空間を与えられて暮らしていく中で、

半ば必然的に受ける衝撃でしかない。

そう思います。

というか、そう確信しました。最近。

確かに「Jamと笑顔と逞しさと助け合い」は発展して都市化していく中で薄れていってしまうかもしれない(多分)。
ただ、貧しさの中に含まれる子どもたちの教育の水準や衛生環境、死亡率などの、
様々な問題は、貧困からの脱却の中で解決することが多いことも忘れてはいけない(と思う)。

貧困=可哀相な人たちという単純な図式を、良い意味で壊されても、
貧困そのものを過小評価してはいけない(のではないでしょーか)。
過酷な労働に見合った賃金も生活も保障されない搾取を、
見逃してはいけない(ってことないすかね)。
満面の笑顔を浮かべながら、可能性を極度に限定されていることに気付くこともない子どもたち。
それを幸せかどうかを決めるのは僕らじゃない。
世界中の人が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が達成されることが、
僕なりの憲法解釈。

前文を読み返して欲しいのです。出来ればちょいと声に出して。
*注:私は「右」じゃありませんよ~~(^^;;;
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


全世界の国民はもちろん、
世界中の名もなき民衆を指している。
欠乏から免かれていない何十億の人々がいる。
その一人一人は真摯に生きていて、
絶望してる人はきっと一人もいない。
そんな勇敢で崇高で、それでいて明るくて前向きで優しい人々。
そういう人たちを貧困に閉じ込める、何世紀にも渡って作られた世界。
俺はそれに問題意識を持ち続けるから、
これからもコミットしていきます。

日本の社会問題にも問題意識を持ってコミットしていきます。
それは日本人だから当たり前のことだけれど、
日本よりも厳しい状況の国がたくさんあるという現状がある以上、
仕事としては国内よりも海外を選ぶことになると思います。

大好きなセネガルを、
深く考えさえしなければ、
良いところしか見えないセネガルを、
本当に好きだからこそ、
もっと深い問題にまで潜らないといけない。
問題の根を目指して、
あえて暗い道を突き進まなければいけない(ふぅ・・・)。

そう気づかせてくれたのは、
信頼する友人との対話。
その対話は感情的で美しくないものだったけれど、
結果として、良かったと今は思ってます。

まだまだ、
足元が弱い、自分。
生き方とか根本的な世界観とか価値観とかの相違に戸惑う日もあります。
特に、共感できるはずと安易に考えていた親友と意見が違えば、
心は揺れます。ぶれます。ちょっと傷つきます。

親愛なる友である親友から、
人生を懸けて目指すべき目標を、心の深い部分で共有できる真友へ。
そういうシフトが必要な年、2011年。

長文、失礼しました!!!
まだまだ書きたいトピックがあったけど、
これ以上長くなっても迷惑だと思うので、
それらは飲み込んで消化します!
ではでは。
Youssouこと浅田光義
doki lagone
年明けの同期旅行で(飯食い終わってから写真・・・)

neko
そんとき泊まったホテルのエレベーターホールの絵(秀逸すぎて俺でも書けそうです)