Idealist(理想主義者)がRealist(現実主義者)に鼻で笑われてる構造ってのはいかがなものか。現実を見ずに理想を追いかけるのは単なる夢想主義。現実を誰よりも知り、現実を理想に近づける力を持った、本当の理想主義者を目指さないといけない。でも、それはなかなか難しい。

 なぜなら、人はまず利己的だからだ。世界の現実も、単にそれを拡大しただけという現実がある。バランスオブパワーが現実主義者の認識する世界で、200位の主権国家によって国境が引かれてるこの地球では、それぞれの国家の政府は自国の国益を追求することが求められており、また、認められている。2度の大戦を経て、大きな(国家間の)戦争は利益よりも損害の方が大きいという認識までは至ったけれど、地域紛争や内戦は未だに存在し続けている。
 軍事力の競争では人類が持たないということで、(イデオロギーの競争を伴いながら)今度は経済力の競争になった。資本主義の時代だ。残念ながら、民主主義は資本主義のブレーキとしては機能していない。民主主義が求めるものは経済のパイを拡大し、それを民衆が自由に獲得し、あるいは配ることだからだ。経済成長が止まると民衆は噴き上がる。現在の日本のように「負担を分配」しなければいけない状況では、民主主義が機能しなくなるかもしれない。

 ともあれ、「まず」利己的な人間ではあるが、より深い満足感(幸福感)を得るためには、利他的な生き方をしなければいけない、と気付く(と期待したい)。ちなみに、自分の家族を大切にする心は、利他ではない。家族は自然に運命を共有しているからだ。なので、地域など身近な他人に貢献することが個人レベルの第二歩(第一歩は利己的な一歩)。利己的な一歩を右足で踏み出すなら、利他的な一歩は左足で踏み出してこそ前に進める。利己的な一歩は誰にでも本能的に出来る「現実」。利他的な一歩は、共に支え合ってこの場所を良くしていこうという「理想」。残念ながら、個人レベルでも国家レベルでも「現実」をいかに上手くやるかってことまでしか、考えられていない 。

 現実に染まり過ぎると、理想を求めるのが馬鹿らしくなるんだろう。現実が厳しすぎると、理想を求める余裕が無くなっていくんだろう。僕の現実は厳しいが、理想主義の剣(ここら辺が痛いか…)で、単に利己的なだけじゃんか!っていうリアリストの癌を切り離していけたらいいな、と思ってます。10年前からず~っとそう思ってて、早、32歳。