ユッスーの日々

挫折と挑戦の二重らせんの日々を綴るユッスーのブログ。

散文・随筆・遺言

『頑張れない日々に』

『頑張れない日々に』

頑張らなくては、どこにも辿り着けない。
どこかでいつか気付くこと。
だから、頑張れって言ってほしい。
「無理すんな」って言葉は、
「頑張らなくていい」とは違う。
でも、頑張らなくちゃダメなんだよ。
本当に。
頑張らないと僕はクダラナイモノになっていくんだよ。
頑張らないと君はナマケモノに似てくんだよ。
それでも言う、「頑張らなくていい」は、
なんて優しいウソだろうか。
「頑張れなくていい」という言葉に、
僕は真実の光を見た。
「頑張らない」ことと「頑張れない」ことは、
真夏の朝と、真冬の夜のように違ってる。
頑張れない日だってあるさ。
それでも、落ち着いたら、
また、頑張ろう。

誰も鳴らしてくれない鐘は、
自分で鳴らしてやろう。
意外な響きに心がときめくでしょう。
ついでに思い出すものがあるでしょう。
そう。
誰のためでもなく。
自分のためですらない。
そのちょうど間に、
「頑張る心」があるのだろう。
頑張る人の美しさが、
いつか夜空の星となるんだろう。
頑張って燃え散った魂が、
あるいは太陽となり、
あるいは星となる。
そんな風にして、
世界は熱を帯びたのでしょう。

歯を食いしばり頑張る人に、
友情の誓いを。
休み休みと頑張る人に、
永遠の嘘を。 
ただひたむきに頑張る人に、
最高の笑顔を。 
それでも、頑張れない人には、
とびきりのハグを。 

詩は志なり。

ユスクエシリーズにしてからめっきりとコメントが減ったこのブログ。
やはり、ブログといっても内容は大切ですね。
あ、申し遅れました。ゆっすぅこと浅田です。

最初に、嬉しい報告があります。
僕の住んでいる町に家族のように親しくしている家があるのですが、
そこで良く会う、近所のおばさん(Seinobou Diop)に赤ちゃんが生まれました!!
そして、その元気な男の子の名前を「Youssou」にしてくれたんですよ!!
いや~僕の名前から取って名付けてくれるなんて、本当に嬉しいです。
こっちに来てから、その子が2人目なんですよ。光栄です。

更に昨日のことなんですが、活動村に行ったら、
ちょうど命名式(村を挙げてのお祭り)が開かれていまして、
そこでも、「この子をあなたの名前を取って、Youssouにするわ。」って、
言ってもらいました。
こっちは、Seinobouさんと違って、ちゃんと話したこともないお母さんだったので、
ちょっと複雑でしたが、本当にYoussouと名付けてくれたのなら、
これからその赤ちゃんも要チェックですね。

そんな訳で、3人の赤ちゃんが僕の名前をもらってくれました(去年も1人いたので)。
先輩隊員からは、「仲良くなるとそういうことも良くあるよ」って聞いていたんですが、
こんなに次々と名付けてもらってすごい嬉しいです。

この国は、乳幼児死亡率が日本とは比べられないくらい高いので、
皆元気に育ってほしいなぁと願っています。

僕は2011年に帰国しますが、
その5年後くらいには、セネガルにまた来たいな~と思ってます。
ゆっすぅ達の成長した姿、これはかなり楽しみです。

さて、タイトルに戻りますが、
「詩は志なり」とは大学時代の教授が教えてくれた言葉です。
ちなみに、「詩は“し”なり」と読みます。
僕もこの言葉が好きで、詩を時々書いてきました。
といっても、全くの素人なので、散文に毛の生えたようなものですが。

で、それを書くときなんですが、
まず「テーマ」ないしは「タイトル」を考えます。
それはいづれにしても「言葉」なんで、その言葉に潜ります。
この場合、“潜る”っていうのは、
そのテーマや言葉を掘り下げていくことで、
より抽象的かつ本質的には、
「そのテーマから導き出される、「自然」と「社会」と「自分」を繋ぐ糸を言葉に紡ぎ出す」作業です。

ま、よく分からないと思いますが、
ともあれ、大事なのはテーマ設定なんですね。
そのテーマは人生における問題意識であったり、
ポーンと浮かんできた「言葉」であったりします。

例えば、
「旅路の果て」という言葉。
これは、高校時代に問い続けたテーマでした。
「足元の空」という言葉。
もちろん、空ってのは上にあるもので足元にはないのですが、
これも、高校生のときから僕の心をくすぐる大きなテーマでした。

そして、今ならば、
「極西のパラダイム」
アジアの極東から、アフリカの極西に来て、何を感じたか。
これは、去年、拙い詩にしてこのブログで公開しました。

次に僕の心に引っかかるテーマは何だろう。
そんなことを考えている今日この頃。

最後に、Seinobou(セイノブ)の赤ちゃん、ゆっすぅの写真を載せます。
P1300826

頑張れなくていい

折角、アフリカにいるのにアフリカ事情が少なくてごめんなさい!!
追々、この国についても書いていこうと思っているのですが、
今は、いろいろと部屋にこもって考える時間が多いのでネタ不足というか、
アフリカ(セネガル)の魅力を語るモチベーション不足なんですよ。
今日はせめて、アフリカを感じれる写真をまず紹介しますね。
5ec21ea1.jpg

右は友だちのデンバで、僕はこっちで仕立てたセネガル服を着ています。


さて、タイトルの「頑張れなくて」に入ります。
頑張れ!って言葉、俺大好き。
心の風邪にかかっている友だちにも「頑張れ!」って言います。
それはタブーってのが一般論なんだけど、
本物の友情があれば、頑張れがマイナスになることはないと確信してます。
俺が、本当にどうしても元気が出なくて悩んでたとき、
信頼できる友達10人くらいに「BK(僕のあだ名)頑張れ!!」って言ってもらったことがあって、
正直、ちょっと恥ずかしかったけど、すごく元気をもらった。

心の傷を持ってない人がいるだろか。
この現代社会で悩んでない人がどこにいるかって話。
子どももお年寄りも、金持ちも清貧も、ましてや青年たちは皆々悩みが尽きない。
その苦悩と虚しさのダブルパンチにKO寸前で、ふらついたファイターが沢山いる。
そんな人の心を、傷ものか腫れものを触るように気を使って距離置いて、
親身になった気で「頑張らなくていいよ」なんてみんな言う。親も友も恋人もミュージシャンも。
けど、本当に大切なのはその人との人間関係(信頼関係)で、
心の友(心友)であれば、「頑張らなくていい」より「頑張れ」がいい。
少なくとも、俺はそう思う。
ただ、心友じゃないのに迂闊に「頑張れ」というよりは、
確かに「頑張らなくていい」の方がマシかもしれない。
裏を返せば、「頑張れ!」って言えない関係は寂しいもんだと思う。
あ、ちなみにこれ全て僕の勝手な自論です。

持論を続けると、
なんで、「頑張れ!」が大事だと思うかなんですよ。
確かに「頑張れ」は難しい。頑張ること自体簡単じゃないし。
でも、みんな気付いてる。突き詰めれば頑張らなくて僕らどこに辿りつけるの?
頑張らないで叶う夢がどこにあるの?って、焦りながら。
もちろん、僕らの人生、焦る必要はないはずなんだけど、
シンプルに言って、頑張ってる自分や友達が僕は好きです。
ただ、「なんで頑張らないの?!」と「頑張れ!」は違うことだと思う。
俺、“頑張れない”ときはあっていいと思う。
実際、自身しょっちゅうあるし。
だから、世の中の「頑張なくていい」に告げたいのは、
「頑張なくていい」の方がいいんじゃないか?!ってことです。
誰だってきっと頑張れる自分になりたいし、
その日が必ず来ると信じたい心を応援するのが、
「頑張れなくていい」と「頑張れ!」だと思う。

最近、頑張れない時期が続いてて、
同期のみんなにも迷惑掛けて、
でも、皆「頑張れなくていいよ」ってメッセージを送ってくれた。
それが、すごくすごく嬉しかったというか、感謝しているので、
こんなこと書きました。

関連してる(?)好きな歌です。

親友Kへの「手紙」

お前にこんな風に手紙を出すのは初めてだな。
10年前なら、明星で語り合ったり、長電話したり、いろいろあったけど。
早いようでもあり、どうしようもなく長いようでもあった10年。
俺は今でも「言葉探しの旅」という名の言葉遊びの自慰を繰り返してるみたいだ。
でも、ここらで筆を折ろうと思う。

だから、今日はどうせ吐き出しきれはしないこの想いを書きなぐってみたい。
人生ってやつはとんでもなく深いと思わないか?
多分、どっかで始まりがあって、確実に、どこまでも終わりがないこの命。
もし、俺がいつか絶望にくれてピリオドを打ちたいと思っても、
本能的に意味がないことを分り過ぎてるから、そんなことは出来やしない。

人は「2足のわらじ」を否定するけど、
俺はどこまでも2足のわらじを履くべきなんだと思うよ。
ある一面から見れば、1足目は「今」で、もう1足は「過去と未来」。
他から見れば、「やるべきこと」と「やりたいこと」。
今の俺に言わせれば、「学問」と「自分」。
1足だけじゃあ、すぐに履き潰してしまう。
でもな、しばらく俺は「過去と未来」であり「やりたいこと」であり、
なにより「自分」を靴箱にしまおうと思ってる。

昨日、ある親友がうちに泊ったんだ。
色々話したかったけど、お互い疲れてたし、あんまし話せなかった。
そんな中で、ドスリと胸に突き刺さった言葉がある。

「誰でもそうかもしれないけど、お前はいざというときに自分を守る」

まぁ、痛いほど感じてたことなんだけどな。
俺って人間はどこまでも誰よりも、結局「自分」なんだ。
どんなに偉そうなことをのたまわってみても、
どれほど純粋に誰かを想ってみても、
つまりは「自分」なんだ。
これほど悲しいことはないと心から思う。
そんなことで悲嘆するなんて馬鹿げてる、偽善だ、誤魔化しだと言われても、
俺自身がそう思うことは変えられない。
「自分」に生きてる自分を俺は呪う。
「自分」にしか生きられない自分を俺は恥じている。
俺は「自分」を殺してやりたいとすら思う。

吉本ばななの小説を最近初めて手にとって、2冊読んだ。
彼女の文章は「私」の目線で描かれていて、
俺がこんな文章を書いたら笑えない自伝にしかならないなと音も無く苦笑する。
このブログも散々書き綴ったのは「自分」だ。
元々、書くことを始めたのは「遺書」代わりだったんだから、
それはそれでいいのかもしれない。
けど、生きることから逃れられない俺は「自分」にこれ以上浸っていられないだろ?

お前にもあんまり話してはいないけど、
この春、俺は人生最大の罪を犯し、逃げようとして底なし沼にズッポリとはまった。
人を深く傷つけておいて、あがく俺の願いは“助かりたい”って欲望だった。
その貧困な精神を、キレイな言葉に乗せてここに記してきたんだ。
そうするために俺は歩いた。来る日も来る日も。
深夜に歩いてると、言葉が生まれてくる。
その言葉たちは、要領のいい俺に似てぶさいくだったけど、
俺はそれを見て癒された。
現実の混沌と困惑と混迷と困難の台風の中、
その真ん中にある言葉を目指して歩き続けていたんだ。

さて、現実に帰れば、夢に描いてた大学院だよ。
入学式は済んだけど、俺はまだ入学出来ていないって思う。
ま、向いてないって言えばそうなんだろうね。
論理的に並べられた発見をまとめた論文に魅力を髪の毛ほども感じない「自分」。
論理的に話すことが出来ないことないけど、俺は紆余曲折の文章が好きだな。
多分、学問はものすごく向いてないと思う。
だけど、それを志してきた以上、「実質的には入学もしませんでした」では終われない。
だから、遅ればせながら「学問」の海に飛び込むよ。
もし、「自分」と「学問」の間で溺れるようなら、
やめちまおう。
そんな風に思ってる。

長々とごめんな。
本当は「言葉探しの旅」の概念のバトンを、受け取るかどうかは別として、
お前に渡したいと思ってたけど、それもやめた方がいいみたいだ。
もし、お前が何かを書き始めたらそれを読まずにはいられない。
それに影響を受け反響せずにはいられないから。

ともあれ、
うまくこのわらじを履けるようになった時に、
また、こうして生きていきたい。

アサ

単純だけど大切な疑問(親友Kとの合作)

もし、小学生に「なんで人を殺してはいけないの?」って聞かれたら、なんて答える?
もちろん、答えるだけじゃなくて、その子が納得するように話してあげなきゃいけない。
これって、難しいことかな?
多分、(今の日本では)難しいんだろうな。
昔だったら、例えば思いっきりげんこつを食らわせて、
「ほら、痛いだろう。でも、まだ生きてるよね。もし、誰かに殺されたらもっと痛いよ。」
なんて、馬鹿げたやり方でも良かったのかもしれない(^^;

でも、今は…。
満たされすぎて、夢や希望が見えない。
豊かすぎて、生きてることのありがたみが分からない。
薄っぺらの情報が多すぎて、まごころの声が聞こえない。
可能性が無限にあるから、自分の存在すら見失う。
お金が便利すぎて、値段のつかないものの価値に気付かない。
なんでもあるよで、

******************************
 ここまで書いたところで親友のK(FOOUEEN)から電話が入りました。
 そんで、この続きはFOOUEENに託しました。
 ちなみに、彼は同世代としては世界一の詩人です(多分)。
******************************

なんでもあるよで、なんでもある。
考える時間。考えすぎてしまう時間。

こうしている今も遠くサバンナでは、
飢えきったハイエナが獲物を待っている。
油断した獲物を狙っている。
時に獲物が同じハイエナだとしても。

「新鮮な魚」とは「死んで間もない魚」のことで
「鮮やかなお造り」とは「切り刻んだ魚」のことで

それでもを無心に喰らいつくのが「獣」で
それにあれこれ薀蓄たれながら喰らうのが「人間」で。

同じ対象でも、それぞれに異なる目的があり、色付けされる。

産まれて間もないハイエナは?
産まれて間もない人の子は?
狩もしないし、ジョークも言わない。

死に至る病?
それは何をもって「治る」のか。

もし、人間が手軽に喰われるような文明の下暮らしていたら、
わたしはあなたを喰っていたかもしれない。

いつか、織田信長が暗殺されて
当時の人々はさぞ困ったことでしょう。
しかし、明智光秀はそのつもりだったでしょう。

暗殺には必ず「つもり」がついている。
「つもり」の価値観は時代ごとに変わる。

時代は当時の民が作る。

だとしたら
そんな小学生に僕はこう言う。

「こら小僧。
そんなことより
一緒にCHAGE&ASKAでも歌おうではないか。次はピンクレディーだ。
いいか小僧、昔日本にゃあ、バブルの時代ってのがあってだなぁ…
…なぁ小僧。さっきの話、小僧はなんでそう思うんだ?」

今考えさせても答えは出ないし、出たとしてもその答えは不完全だ。
押し付けた答えなら時代は破滅に近い。納得してもそれは何の保障にもならない。

それでも問答は続ける。
混沌としたようで均衡を保つ、小さな平和状態。

五月病にヨロシク!!

Please say hello to May-Sickness!!
最近、あいつどうしてっかな?
俺が浮かれてるときに、「人生ってやつはそんな甘くないぞ」って、
教えてくれたあいつ。元気してっかな?
こっちにしてみりゃ、「大きなお世話だよ!お前の顔見るとなんか暗くなるわ!」
ってなもんだったんだけどね。
今にして思うと、あいつに教えられたことは多いな。
春もたけなわってなってくると、
天気も良いし、気持ち良すぎて目指すゴールが見えなくなったりすんだよね。
そんで、逆に焦ったりして、俺も若かったな。
人生の後半で笑って泣いて感動して熱くなれればいい。
青春時代は悩みをTシャツのようにいつでも着続けてりゃいい。
悩みなんてないぞと調子こいてるそんな季節に、
あいつは足音もなく寄り添ってきて、
冴えない顔して隣に座ってきたんだ。
この年になるまで、お前のことずっと誤解してたよ。
お前になんて会いたくないって恐れてすらいたよ。
ごめんな。
よく見りゃ、その冴えない顔は俺によく似てるな。
冴えないくらいの日常でも、俺は頑張るよ。
豊かすぎる国だから、
お前みたいなやつが沢山必要なんだろね。
これから、お前のこと悪く言う奴がいたら、俺が言ってやる。
「5月の天使に会えたんだね」って。

こういう歌が足りない(気がする)。

世界はまだまだ平和じゃないのに。
平和運動は随分オシャレになった感じがする。
戦争も平和もバーチャルであり、リアルでない。
真冬の寒空に、大地に立てた棒きれに毛布を引っ掛け、
その「家」で眠る難民の家族。
うまい棒かチロルチョコの値段で買える薬が買えず、
失明する少女もいるんだろう。

ポップスターは切なく甘い恋愛を歌う。
ロックスターは青春を叫ぶ。
演歌歌手は人生を唄う。

誰ぞ、世界の貧困を唄うのか。
現代の悲惨を訴えるのか。
風に吹かれてアフリカの大地は赤く映える。

僕は誰を責める気もない。
ただ、気づけたこと感謝して、微力な自分に勇気を与えたいだけ。
Thank you 70s great musicians.

今、テロについてエッセイをまとめてるとこ。
平和構築は現在の専門ではないけれど、
対テロ戦争に思うことは多い。
果たして、戦争という手段で平和構築が出来るのか?
今でも9時11分をデジタルの時計で見ると、あの日を思い出す。
そして、10時7分になると10.7を思う。
それは、アメリカがアフガンに対テロの戦争を始めた日。

アメリカは決して戦争が強い国じゃない。
それは、アメリカの平和勢力が強いってことだ。
どんな戦争でも長引けば、アメリカ市民の良心が声を上げる。
欧米の平和勢力が強いことは誇りに思っていいと思う。

しかし、戦争は始まった。
テロと呼ばれて発言権を失くした彼らは、
まずは、「最強の」アメリカを泥沼のリングに引きづり込むことに成功した。
9.11は彼らにとっては恐るべき開始のゴングだったのかもしれない。

そもそも、イスラム原理主義なんてのはイスラム世界の中でも、
過激で、迷惑な存在だった。
ほとんどのイスラム世界のムスリムたちは寛容で人懐っこい。
「中東の民主化(アメリカ化)」なんてのは、
必要も無いし、誰も望んじゃいないだろう。
本当は、良識あるイスラムの民衆と手を結んで、
徐々に過激派を締め出せば良かったんだ。
(少なくとも、9.11後はそんな雰囲気じゃなかったけども)

いずれにしても、
テロを生み出す不条理*を放置し、
テロとの戦争を本当に続けるなら、
後世の歴史家は間違いなく「第3次世界大戦」とそれを表現するだろう。
そして、アメリカ中心の同盟軍はおそらく負けるだろう(ベトナム戦争のように)。
*グローバリゼーションの負の側面など

そんな、悲劇を起こさないためにも、
世界の良心を結集すべき時は今。
力不足とは言え、その結集軸は国連がふさわしいんじゃないかな、と思う。
そして、主人公は僕らの世代。世界はもう動きだしてる。
話が長くなりました。

イラクの民間人の死者は少なくとも8万人を超えたようです。
その一人一人にも、名前があり、家族がいたはず。
Remember September 11th.
Remember October 7th.
Remember March 19th (Iraq War).



"Bloody Sunday" by U2



"Blowin' in the wind" by Bob Dylan


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