ユッスーの日々

挫折と挑戦の二重らせんの日々を綴るユッスーのブログ。

散文・随筆・遺言

夢、破れないために。

Dreams come true.
直訳:夢は叶う。

二十歳を過ぎれば「夢」にも現実可能性が求められる。
僕が今からプロ野球の選手を目指すなんてのは夢じゃあない(ほぼ不可能という意味で)。
身体能力のピークは思考能力のピークよりも随分早いから。

出来る限り僕は夢を追いたい。
出来る限り友達にも夢を追って欲しい。
そのためには自分(能力、経験、適正、資産など)と、
環境(社会状況、時代背景、今後の見通し、世間の価値観など)の、
2つの現実を見つめなきゃいけない。

キャリアは夢の設計図。

設計図を描く努力を惜しめば、充実した人生の構築は進まない。
逆に、きちんとしたキャリアプランを描けば、想像以上の目標だって達成できる。

あれ?俺、当たり前のこと言ってる(^^;;; ???

ともあれ、なんでこんなこと書いてるかっていうと、
学生時代に上にあげた環境を考えずに、社会人になって「現実」に直面して、
夢を「夢」のままで終わらせてしまう人が多いなって思ったから。
現実は夢を押しつぶすためにあるのではなくて、
現実は夢を達成するための土台であり、片足であり、舞台じゃないかな。

夢を夢と呼ぶ理由は、それを達成したい!それに向かって頑張りたい!って、
純粋な思いが根っこにあるからだと思う。
その想いを失うことの代償は大きいと思う。
すごく大きい、と思う。

僕はというと、
社会人から、アカデミック(学術)な世界に戻ってきたわけなんだけど、
修士課程でかつ国際開発学部(学ぶ内容は民間企業向けでない)ので、
厳しい現実と向かい合わせの状況です。
しかも、研究テーマが決まっていないから、入学して間もないけどすごく焦ってます(焦って当然だけど)。

そんな中で、昨日はゼミの初日でした。
M1(修士1年)とM2(同2年)がそれぞれ自己紹介をしたんだけど、
M2の人は就活の真っ最中で、修士論文に手が回らなくて焦ってた。
で、「M1の人は(そうならないように)気をつけてね(笑)」ってみんな言ってたのが印象的でした。
俺、既に焦ってます。

で、次に教授の挨拶的な話になったんだけど、
曰く「研究テーマを決めるときに、2つ大事なことがあります。
1つ目は、これはすごく大事で覚えていて欲しいことですが、自分が本当に関心があることを選ぶこと。
2つ目としては、その分野に関する他の研究の状況と、その研究が現実に与える価値を踏まえること。いくら興味があって、深い画期的な研究であっても、現実社会にとって価値が薄ければ無駄、とまでは言わないけれど、もったいないことになります。」

これはすごく心に残った。
独りよがりな研究や、流行に合わせただけの研究ではいけない。
現実と自分が本当にやりたいことの両足で支えられた研究。
僕の夢に連なる研究テーマはそうでなくちゃいけない。

進路やキャリアと真摯に向き合う人の参考になればこれ幸い!!

命の声が聞こえたなら

Voice of life.
Have you ever heard it?
When I finaly feel there is no lights,
The voice of life starts to whisper.
"Can you hear me? I know everything about you because I am you."
"Even if you lost your way, you do not have you close your eyes."
"Until the day when we melt to the universe, let's walk together."
"From now, just call me "hope". Your hope is your best friend."
"So now you can back to you again."

怪我や病気をしたとき、
僕の中のたくさんの細胞がフル稼働して治してくれる。
60兆個ともいわれる僕の中の命が僕の生命を支えてくれている。
絶望やトラウマのような心の奥深くまで傷ついたとしても、
最適な速度でそっと癒してくれる。

ある人が言った。
「深く厳しい悩みの中で傷ついたとき、自分を支えようと
自分の中から、湧き出てくる希望の力を信じれる人は強い」と。
僕は思う。
「その希望はたとえ信じていなくても、必ず誰もが持っているもの。」だと。

これから僕の人生の中で、
僕の心の中で、
どれほどたくさんの血が流れようとも、
僕は最期まで歩いていく。




≪英語の訳≫
生命の声
聴いたことがあるかい?
目の前が真っ暗闇になって、
どこにも光が見出せないとき。
その声がそっとささやきかけてくれる。
(僕の声が聴こえるかい? うん、全部知ってるよ。僕は君だから。)
(たとえ全てを見失ったとしても、目を閉じて耳を塞がなくたっていいんだよ。)
(僕らがまた宇宙の生命へ融け出すその日まで、一緒に歩こう。)
(僕の声が聴こえたなら、僕のことは「希望」と呼んでおくれ。僕は君の、君は僕の親友だ。)
(もう、大丈夫。僕等らしく歩き出せるよ。)

それでも生きていく。

生きているだけで、どうしてこんなにも傷つけ傷ついてしまうのだろう。
あの小さな背中に抱えきれないほどの重荷を背負わせていたんだな。
僕は目の前の助けを求める小さな汚れなき手に、手を差し伸べることも出来ない愚か者だ。
自分だけを守り続けていたのは浅ましい本能。
海の彼方、空の向こう、右耳の電話口から泣き声が聞こえてる。
僕は無様な涙を流しながら意味もないのに両膝を殴る。
人の幸せを純粋に願う奇跡の人をも不幸にしてしまう僕に、
何かを成し遂げる資格はない。
世界一笑顔が似合う子の生きる希望を奪ってしまった僕は、
それを今頃になって初めて背負って生きていく。

どれほど道のりが遠くとも。
どれほど道のりが険しくとも。
この痛みだけは忘れないように、かさぶたを剥がし続けながら。

犠牲の心に価値はなくとも。
それなしで生きていくことは出来ない。

I am sorry.

2010年までが正念場

2008年の新年を迎え、僕は27歳の学生だ。
2010年には30歳になる。
21世紀の夜明けを新成人で迎えられたことが、
「21世紀は僕らの世紀だ」と思わせた。

戦争と科学技術と民主主義の20世紀に生まれ、
テロとグローバリゼーションの21世紀を生きている。
21世紀をどう創っていくかなんて話を普通の青年はしない。
自分にとっての自分ひとりの価値は今まで以上に大きいくせに、
社会にとっての一人の価値や存在は極限まで薄められている。
なんだか、政治家か企業家かアーティストにでもならなきゃ、
何も生み出せない、何も変えられない、そんな現実らしきものがある。

たとえ、この声が届かないとしても、
僕らの世紀の絵は、誰にも描く権利があるはずだよね。
何を企むでもなく、ただ生きていて気持ちいい時代に向かいたい。
あまりにも理不尽な人生があるのなら、単純にそれを無くしたい。

今あるものはそれはそれで良いものも多いんだと思う。
憲法とか、情報網とか、医療とか、基礎教育とか、温泉とか。
庶民感覚では、全く要らないように見えるものにも何かしらの意味があるのかもしれない。
賄賂とか、駆け引きとか、軍隊とか、ゲノムとか、貧困や富豪とか。

今、この地球上にいる人の99%以上は今世紀中にこの世を去る。
大統領もホームレスも、何も為さずに終わるなら、所詮は21世紀の石ころ。
何が言いたいかって、もっとみんなで理想を語り、それに向かって人生使おうって話。

仕事や家庭があれば、他のこと考える余裕なんてないのかもしんないけど。
他のこと考えてなんぼだよ。
自分の手が届くとこは、自分でなんとでも出来る。
けど、自分の手だけじゃとどかないとこは、みんなで協力しなきゃいけない。
えてしてそういう部分が目に見えない将来の不安となってストレスの種になるもの。
老後が不安。健康が不安。政治が良くない。経済格差がどうだこうだ。地球環境は?!
こんなことは、センター試験の現代文の問題を解くようなもので、
要は答えが難解な問題文の中に隠されているというだけの話。
数学の問題は、公式を知らなきゃ時間内に解くことはほとんど不可能だ。
だけど、いま僕らが抱えてる問題は、丁寧にそれを読んでいけば答えが導き出せるたぐいのものだ。

話は末広がりになって、拡散寸前だけど、
タイトルに戻れば、今年から2010年末までの3年が僕らの正念場。
否、僕の正念場。
やっぱ、僕らの正念場か。
僕らが生きる世界のあるべき姿を想像して、
それに向かって、今ある社会の姿を大事にしながら、
より良い時代を創造していきたい。
そういうことが出来る人に僕はなりたい。
そのために、勇気と鼻血を振り絞って努力していきたい。

2008年 元旦+α
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